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すると意外なことに遊士は更に嫌そうに眉を寄せながらも答えてくれた。

「面倒臭いことになるのが目に見えてたからコイツに関わらなかっただけだ」

それは少し分かる気がする。人を捕まえて珍獣扱いはない。そして、遊士の暴挙も普通じゃないと俺は思う。

そこへフォローだか何だか知らないが誠士郎が言い添える。

「久嗣と遊士は犬猿の仲だと誤解されてるようだが、俺たち三人は幼馴染みだ糸井」

「げっ…それはまた面倒臭い」

俺は思わず一歩後ずさった。だって、誰だってこんなしち面倒くさいことに巻き込まれるのは御免だろ。
その俺の反応をどうとったのか生真面目な顔で久嗣が口を挟んでくる。

「大丈夫だ。俺はちゃんと責任を持って世話をする」

「って、何でアンタは一人そんな話になるんだ!」

げんなりと肩を落として言い返した俺に対し、遊士はきっぱりと言い放つ。

「相変わらずお前とは話にならん。…誠士郎、久嗣の手綱ぐらいちゃんと握っとけ。俺に迷惑かけんな」

それも何とも自分本位な言いぐさで。
けれども誠士郎はそんな遊士の物言いにも慣れているのか返事の代わりに溜め息を落とした。

もう俺帰って良いよな?

じりじりとゆっくり足を後退させる。
幸いにもエレベーターは俺の後方にある。

しかし、この行動に目敏い奴等が気付かぬ筈もなく。

「誰が帰って良いって言った」

遊士に目線一つで咎められた。

「何でだよ。俺の用はもう済んだから帰ってもいいだろ」

この中で一番話が通じそうな誠士郎へ顔を向ければ誠士郎は頷き返してくれる。

「遊士。糸井に用があるわけじゃないんだろ。帰してやれ。他の生徒に見られたら糸井の身が危ない」

誠士郎は自分達が他の生徒からどういう目で見られているのか十分理解した上で言う。

「はっ、もう手遅れだけどな。コイツはもう歓迎会で鬼をやることに決まってんだよ」

「なっ―!」

「珍獣が?」

誠士郎と久嗣の驚きように逆に俺が驚く。

「本当なのか、糸井」

「え、あぁ…。なんかよく分からない内に生徒会からの指名で」

包み隠さず告げれば誠士郎は遊士!と咎めるような強い声で遊士の名を呼び、俺は近付いてきた久嗣に何故かぽんぽんと慰められるように軽く頭を叩かれた。

「いや…ちょっと…」

「珍獣。やはり他の人間に狩られる前に俺の所に来ないか?」

「それは俺を助けてくれるって意味か?」

見下ろしてくる久嗣の目に悪意は見られない。

「俺の元に来ればおやつも出すぞ」

しかし、言ってることはやっぱりどこか違う。
どうする?と間近まで迫られて俺は首を横に振る。

「いやいや、俺、ペットじゃねぇから」

「誰よりも可愛がってやるぞ」

「っ、ちょ、近い、近い!」

鼻先に吐息が触れたかと思ったら額に唇が落とされる。
成すがままに流されていると誰かが久嗣を強引に俺から引き離した。

「てめぇはなに流されてんだ。俺の時は手やら足やら出したくせによ」

久嗣を押し退けたのは不機嫌さ全開の遊士だった。

そんなこと言われても。
遊士と久嗣では、今すぐ感じる身の危険度が違うのか体が反応しない。

「それともお前こういうのがタイプか」

「はぁ?アンタ何言ってんだ。男にタイプも何もねぇだろ」

ジリジリと俺は遊士から身を引く。
そんな俺と遊士の間に、俺に背を向けて誠志郎が割って入った。

「遊士、久嗣。済んだことは仕方がないとしてその辺にしておけ。糸井、お前はもう行っていいぞ」

常識人だ、と俺は思わずその背を見つめてしまった。

「…ありがとうございます。じゃ、お言葉に甘えて」

素早く体を反転させ俺は背後にあったエレベーターに乗り込む。
背後で何やら声がしたがそれもエレベーターの扉が閉まった後は聞こえなくなった。

「ふぅ…、無駄に疲れた気がする」

静かに下降するエレベーターの壁に背を凭れ、俺は眼鏡を押し上げようとして舌打ちした。

「來希の奴…」

当然ながら視力の良い俺はスペアなど用意していない。そもそも壊されることなど誰が想定するというのか。

とうに昼休みなど終わりを告げており、授業の始まった教室に戻る気も起きずに俺は一階で停止したエレベーターを降りる。このままもう寮へと帰ってしまおうかとした俺に声がかけられた。

「糸井、何処行くつもりだ?まだ授業中だろう。サボりか?」

「本庄…先生」

掛けられた声の方を向けば、入寮初日に食堂で会って以来の兄貴の友人だという本庄が居た。

「今呼び捨てにしようとしたな?」

変な間を開けてしまったことで気付かれてしまったらしいが、本庄は苦笑しただけで別に咎めたりはしなかった。

「あれ?糸井、確か眼鏡してなかったか?裕弥から貰ったとかいう」

そしてどうやら記憶力がすこぶる良いらしい。

俺は今触れて欲しくなかった話題だったが、兄貴が頼んだ協力者として何かヒントぐらい出してくれるかと思い、軽い気持ちで言った。

「それが落として壊れたんです」

「そう来たか」

「は?」

何、いきなり。そう来たかって何だよ。

本庄はたった一言で納得すると、何故か菊地先生には俺から言っておくから。と言葉を続けた。

「予備の眼鏡が必要だろう?俺の部屋にあるから取りに来なさい」

「はぁ…?」

意味が分からん。

そして俺は教師寮の本庄の部屋に足を踏み入れることになった。

教師寮は生徒寮から少し離れた、校舎寄りに造られた五階建ての建物で。中の造りは生徒寮とほぼ同じ。

三階にあるという本庄の部屋へエレベーターで上がり、部屋の中へと通される。

「今持ってくるから適当に寛いでてくれ」

「あぁ…」

緊張感の欠片もなく自然な流れで部屋へと上がってしまったが果たしてこれで良かったのか。
無防備に背を向け、俺をリビングに一人残していった本庄に疑念を抱いた。

それほどまでに、俺はこの学園へ来てからというもの様々な出来事に見舞われ、無駄に神経を磨り減らしていた。

しかし、

「これ…」

「驚いたか?」

本庄から手渡された物は兄貴がくれた物と全く同じ形、種類の眼鏡。
度の入っていない新品の眼鏡をかけて俺は本庄を見上げる。
するとそこでやっと本庄が種明かしをした。

「裕弥から必要になるかも知れないって言われて一方的に俺の所に送られて来たんだ」

「何で本庄先生に…」

「基本的に教師は一人部屋があてられてるからな。糸井は橘と同室だろう?勝手に人の荷物を開ける事は無いと思うが、用心に用心を重ねてだろう」

「あぁ…、兄貴やたらと心配性だから」

壊された眼鏡と同じ、眼鏡の弦に指先を滑らせて俺は小さく笑った。
その様子を見て、本庄も頬を緩ませたが俺が知ることはない。

「また何かあったら遠慮なく言えよ。俺も出来る限り力にはなるからな」

「…おぅ」

常識人で、頼りになりそうな人は意外と身近にも居たんだと実感した瞬間でもあった。

「良い返事だ」

くしゃりと頭を撫でられ、何だか兄貴に構われてる気分になって俺は肩から力を抜いて本庄の好きにさせた。
共に教師寮を出て、校舎と寮への別れ道で足を止める。

「糸井はそのまま寮に帰ってもいいぞ」

「サボりは駄目なんじゃねぇのかよ?」

本庄の台詞に間髪いれず、俺は素を出して聞き返した。
そのことに本庄は一瞬驚いた様だったが、ふっと柔和な笑みを浮かべると言う。

「本当はな。でも、今回に限り糸井には俺の手伝いをして貰ったってことで公欠扱いにしてもらうよう菊地先生には頼んでおくから」

「何で先生がそこまでしてくれんだ?」

親しくもねぇのに、俺が兄貴の弟だから?

疑問だらけの俺の頭を、本庄はまたくしゃくしゃと撫でてきた。

「確かに裕弥から頼まれてはいるが関係ない。しいて言うなら、俺の気のせいかも知れないけど少し弱ってる様に見えたからだな」

これでも教師として何百人と生徒を見てきている。

「糸井は少し休んだ方が良い。外部からの入学だし、環境の変化にも自覚は無くとも体は疲れてるはずだ」

「………」

良く休めと、俺が口を挟む前に寮へと帰るよう促された。
背を押され、俺は背後を振り返る。

「本庄先生、…さんきゅ」

「どういたしまして」

そうして俺は本庄に見送られ寮の自室へと帰った。



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